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【雑文】たまには銀座の蕎麦屋にて [食べ物系]

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例えば、銀座の「よし田」あたりで、だし巻き玉子などを肴に菊正宗の燗を飲み、 温かい蕎麦で締めるという過ごし方なんかもよいでしょう。

蕎麦屋なのに肴がやたら豊富で、妙に畏まった蕎麦屋というわけでもなさそうだが、 居酒屋に徹しているわけでもなく、日本酒に力を入れているわけでもなさそうで、 加えて、ひどく安いわけでもない。

酒肴も蕎麦も目をむくほどうまいものではないが、だし巻きならだし巻き、蕎麦なら蕎麦とそれとわかるくらいの微かだが確かな自己主張が無いわけでもなく、邪魔にならない。

ただ、本を読んでいてもいいし、考え事をしてもしなくてもいい。周りをつらつら眺めて いてもよく、かといって、居心地が悪いわけではない。刻み時間に火をつけてゆらゆらと 香りが散るにまかせるような感じ。

生活とは「目的」と「意味」と「合理性」が織り成す果てしない因果の鎖だけではない、 別の公理系もあるのだなと腹に落ちるわけで。 ただ、蕎麦屋か居酒屋か何だかわからないようなこのような中途半端な空間は、 少しずつ、「目的」や「意味」や「合理性」に埋め尽くされていくような気がしています。

蕎麦屋なら高級蕎麦店と立ち食いそばに二分されるし、居酒屋も、スーパーやコンビニの惣菜と料理店に二分されていくのかもしれない。経済合理性やビジネスの戦略という 「目的」から考えると、まったく正しいのでしょうが。

加えて、中途半端は、「ハンパねえ」と比べ、どうもかっこ悪く、旗色がよくありません。

しかし、人間を重ねていくうちに、人は中途半端でも格好悪くても、「目的」が無くても、それなりに尊厳を失わずに生きていかなければならないとも思ってはいるのです。 そして、世のサイレントマジョリティは、自分の中の中途半端と戦い、なだめ、あきらめ、 虚勢を張り、時に克服し時に敗れながら生きているのではないでしょうか。

中途半端の場の喪失は、ある意味、人間性の喪失につながりかねない。。。
などとつらつら考える蕎麦屋の夕暮れなのです。



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