横浜中華街雑感 [くだらないもの]
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たまには、くだけたことも書いてみます。横浜中華街について。
一年に一度くらい、ふと行きたくなる時がありまして。急にふらりと行きたくなる衝動が来るので、ほとんど単独行動となってしまうのがやや残念です(一人で食べる種類や量に限界。。。)。
さて一部で批判もあるように、最近は甘栗屋や店頭販売の饅頭屋などがかまびすしく、表通りはこれでもかとオーダーバイキングの看板がちらついてますが、建物の風情や関帝廟など、明らかに異国情緒感があり、散歩するだけでも楽しい気分になれます。
中国雑貨や中華食材のスーパーを覗いて冷やかすのもよいですが、やはり、せっかく中華街まで来たからには何か中華料理を食べて帰りたいもの。ただ、根が保守的なのか、行く店はほぼ二店のローテーションです。
「同発」か「四五六菜館」。
「同発」は、友人と中華街を歩きつめ、さんざん悩みながらも決めきれず腹を減らしていた末、店頭にぶら下がっている叉焼や家鴨の神々しいまでの濃いあめ色の輝きに、もう辛抱たまらんと決めました。
スライスされて出てくる肉は、ほんのり温かくて、皮と肉と脂とのバランスよく、八角などの中華な香りがほのかにして、紹興酒の肴としてベストではないかと密かに思っています。豚や家鴨、鶏のほか、臓物系のハチノスや砂肝などの盛り合わせもあり、こちらも非常によろしい。
「四五六菜館」は、30年位前、両親に連れられ、中華街に初めて来たときに入った店です。カレーやハンバーグが好きな幼いときは、大きな魚のから揚げにあんかけをかけたものなど、中華料理を美味しいと思えなかったのですが、大人になり、自分で中華街を訪れるようになって改めて看板を見かけ、ついつい、入ってしまいました。
何が「四五六菜館」の名物かと言われると困るのですが、一つ一つの料理がきちんとしている印象で、はずれが無いなあと、行く度に思わされます。
もっとも、この2店が中華街でもっとも美味しいかというと、私にはわかりません。ただ、ものを美味しいと感じることは、料理そのものは必要条件として、自分の体調や精神状態、食べる目的、同行者、天気その他、もろもろ総合した結果にならざるをえないと思います。
もっと言えば、プライベートでものを食べに行くときというのは、身体の栄養補給に行くのではなく、味覚を中心にしながらも、かけがえのない思い出を探しに行っていると言っても、過言ではないはずです。その意味では、「同発」と「四五六菜館」は、私にとってかけがえのない思い出の場所であり、これからもそうあり続けてほしい場所
なのだと思います。
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たまには、くだけたことも書いてみます。横浜中華街について。
一年に一度くらい、ふと行きたくなる時がありまして。急にふらりと行きたくなる衝動が来るので、ほとんど単独行動となってしまうのがやや残念です(一人で食べる種類や量に限界。。。)。
さて一部で批判もあるように、最近は甘栗屋や店頭販売の饅頭屋などがかまびすしく、表通りはこれでもかとオーダーバイキングの看板がちらついてますが、建物の風情や関帝廟など、明らかに異国情緒感があり、散歩するだけでも楽しい気分になれます。
中国雑貨や中華食材のスーパーを覗いて冷やかすのもよいですが、やはり、せっかく中華街まで来たからには何か中華料理を食べて帰りたいもの。ただ、根が保守的なのか、行く店はほぼ二店のローテーションです。
「同発」か「四五六菜館」。
「同発」は、友人と中華街を歩きつめ、さんざん悩みながらも決めきれず腹を減らしていた末、店頭にぶら下がっている叉焼や家鴨の神々しいまでの濃いあめ色の輝きに、もう辛抱たまらんと決めました。
スライスされて出てくる肉は、ほんのり温かくて、皮と肉と脂とのバランスよく、八角などの中華な香りがほのかにして、紹興酒の肴としてベストではないかと密かに思っています。豚や家鴨、鶏のほか、臓物系のハチノスや砂肝などの盛り合わせもあり、こちらも非常によろしい。
「四五六菜館」は、30年位前、両親に連れられ、中華街に初めて来たときに入った店です。カレーやハンバーグが好きな幼いときは、大きな魚のから揚げにあんかけをかけたものなど、中華料理を美味しいと思えなかったのですが、大人になり、自分で中華街を訪れるようになって改めて看板を見かけ、ついつい、入ってしまいました。
何が「四五六菜館」の名物かと言われると困るのですが、一つ一つの料理がきちんとしている印象で、はずれが無いなあと、行く度に思わされます。
もっとも、この2店が中華街でもっとも美味しいかというと、私にはわかりません。ただ、ものを美味しいと感じることは、料理そのものは必要条件として、自分の体調や精神状態、食べる目的、同行者、天気その他、もろもろ総合した結果にならざるをえないと思います。
もっと言えば、プライベートでものを食べに行くときというのは、身体の栄養補給に行くのではなく、味覚を中心にしながらも、かけがえのない思い出を探しに行っていると言っても、過言ではないはずです。その意味では、「同発」と「四五六菜館」は、私にとってかけがえのない思い出の場所であり、これからもそうあり続けてほしい場所
なのだと思います。
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2015-02-28 22:13
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